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上の写真は、会見で2020年12月31日に活動休止することを表明する嵐の5人。左から、相葉雅紀さん、松本潤さん、大野智さん、櫻井翔さん、二宮和也さん=2019年1月27日午後8時
2019.3.7(木)20:28投稿
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2019年1月27日午後5時に、アイドルグループ「嵐」が2020年12月31日で活動休止することを、公式ファンサイトで発表しました。
それから3時間後の夜8時に、メンバーの、相葉雅紀さん(36)、松本潤さん(35)、大野智さん(38)、櫻井翔さん(37)、二宮和也さん(35)の5人が揃って、東京・赤坂のジャニーズ事務所で緊急会見しました。
活動休止のきっかけは、2017年6月にリーダーの大野智さんが、他の4人に「自分の嵐としての活動をいったん終えて、自分も自由に生活してみたい」と伝えた事だそうです。
日本だけでなく、世界中に衝撃が走りました。
・嵐ロスが広まっています。
高校1年生のあかりさん(16)は「生まれたときから、嵐は嵐だから信じられない」。嵐は、5大ドーム50公演を発表したばかり。SMAPが解散し、TOKIOはメンバーが抜けたが、「嵐は安泰だよね」と、友達と話していたという。
・ネット上では、“嵐休暇”という言葉も生まれました。
「何もやる気になれない。今日くらい嵐休暇取らせて!」
・海外でも、
中国のファン「ああ、信じられない!今すぐ日本に駆けつけたい。」
台湾のファン「日本に興味を持ったのは嵐がきっかけ。私にとってかけがえのない存在。」
・会見が笑顔だった事から、ファンも少しは安堵したようです。活動再開があるのではないかと?
活動休止は、大野さんが言い出しました。
大野智さん
15周年のハワイ公演(2014年9月)が終わった頃から、大野さんは「この世界を一度離れて、今まで見られなかった景色を見てみたい。自由な生活をしてみたいという思いが徐々に強くなっていった」そうです。
大野さんはこうも言ってます。「疲れちゃったとかではなくて、一回立ち止まって自分を見つめ直したい、というのがでかいですね」
2017年6月16日、大野さんはその思いを、仕事先の大阪でメンバーに打ち明けました。その時「事務所を辞めなくては、けじめがつかない」と、芸能界を引退する覚悟だったようです。
それから、メンバー間で何回も話し合ったそうです。
残りの4人で嵐として続けて行く選択肢もあったでしょう。しかし、二宮さんは「5人でなければ嵐ではない、100%のパフォーマンスはできない」と思っていて、他のメンバーも思いは一緒だった。だから、リーダー(大野さん)の思いを尊重する形で、活動休止を決断したという事です。
大野さんは、会見でこう言っています。
「活動休止という形で甘えさせてもらった。みんなが『最後まで笑っていよう』と言ってくれた時は、やばかった。なんて人たちだろうって。嵐でよかったなあ、と」
※ 嵐の5人は仲がいいと言われますが、「5人じゃなきゃ嵐じゃない」という言葉には、5人の深い絆を感じますね。
嵐が、AKB48と共に、歌謡界のトップを走っている理由の1つが、この深い絆にあるのではないでしょうか?
2018年2月に、活動休止を事務所に申し出て、6月に活動休止が決定しました。
社長のジャニー喜多川氏(87)は、
「僕が決められることでもないし、みんなで決めていくものだと思う。20年という年月よく頑張った、よく頑張ってくれた。ありがとう」と、5人に感謝の言葉を送ったそうです。
活動休止決定から発表まで7ヶ月空いたのは、この間、結成20周年イヤーの準備や紅白などの、スケジュールが詰まっていたためとみられます。
大野さんは、2021年から芸能活動をしばらく止め、他の4人はソロで活動するという事です。
記者会見での5人のコメントを拾っておきます。
大野さん「人生の半分以上が嵐なので、宝物以外の何ものでもない」
大野さんは活動休止の期間について「決まっていない」と言い、
櫻井さんは「解散ではありません」ときっぱり。
ー「お疲れ様でした」という声もあるが、「無責任」という指摘もある。ー と、記者から言われて、
櫻井さんは、次のように反論しています。
「無責任というご指摘に関しましては、2年近くかけて感謝の思いを伝えていく期間を設定した。これは我々の誠意です。それが届くように、これからもたくさんの言葉をお伝えし、たくさんのパフォーマンスを見てもらい、それをもって判断をしていただくことかと。」
櫻井翔さん
ー今回は大野さんが矢面に立つというか、悪者にされてしまう可能性もある。他のメンバーの方には区切りをつけたかったという気持ちは?ー との問いには、
二宮さんが、答えました。
「(区切りをつけたい気持ちは)僕はなかったです。リーダーのせいでこうなったということは同じくらいゼロです」
「僕らはみんなでやりたいと思ったときにやるし、みんなでやりたくないときはやらない。でも、一人がやりたくないというときは、どうしてそう思うのかみんなで話し合って決めていく。もしリーダーが悪者に見えるのであれば、それは我々の力不足です。」
二宮和也さん
大野さんー
「2017年6月中旬に初めて4人に集まってもらって、自分の気持ちを打ち明けた後、メンバー1人ひとりと個々で会い、1人ひとりの思いを聞き、その後5人で集まり、けっこうな回数ですが何度も何度も話し合い、最終的に事務所の方を交えて話し合いをさせていただきました」
「具体的に何がしたいか、僕の中で決まっていることはないんです。自由な生活というのはもちろん、この世界を一度離れてみて、今まで見たことのない景色だったりを見てみたい。普通の生活っていうのは、芸能界に入って経験していないなっていう思いもあり、そういうことにも興味がある。そういうことであるんですけど」
大野さん「最初、『活動を終えたい』とメンバーに伝えたときは、自分の中で『事務所を辞めなくてはけじめがつかない』と思っていましたが、メンバーや事務所の方々と話す中で、お休みという形でいいのではないかという事になりました。ジャニーズ所属は所属(のまま)ですが、2020年が終わったら、ゆっくり休んでちょっと考えたいなという思いです」
「(休みたいと思うようになった)きっかけというのは、正直ないです。いついつ思ったというより、だいたい3年くらい前からこういう思いが芽生えて、どんどん強くなっていきました」
「15周年のハワイ公演が終わってちょっと経って、そのあたりから自分の気持ちに変化が現れてきてしまった。自分の中で仕事をして、個人の仕事もやらせてもらうなかで、徐々にその気持ちが芽生えてきました」
――達成感のようなものが?
大野さん「達成感? 達成感は10周年、15周年のときはもちろんありました。そこでやりきったという感覚はなかったですけど、ハワイのときもその気持ちはなかった。本当に徐々にです」
――2021年は芸能活動をお休みされるということでしょうか。
大野さん「そうです。一回自分を見つめ直す期間というか、一度立ち止まってみようかなと。お仕事に関してはそうですね」
「(何年くらい休むか)そこまでも具体的なことは考えてないですけど、ちょっと2020年いっぱいまで嵐として走り抜いてから、自分のその時の気持ちだったり、お休みさせていただいている間に思うところが出てくると思う。今はまだわからないです」
二宮さん「衝撃でした。考えていなかったので、言われて驚いた」
「話し合いを進める中で、僕がずっと言っていたことは『4人でも6人でも嵐ではない』と思っているし、嵐という世界の中での価値の基準では、『5人でなければ嵐ではない、100%のパフォーマンスはできない』」
「という中で、リーダーの思いを尊重する形で結論に至った。みんなで話し合う中で、そういう決め方でした」
櫻井さん「話をしたいと言われた後に内容を聞いたら、『これはもしかしたら相談というニュアンスではなく、意思が固まったんだろうな』と解釈しました」
「最初はすごく驚きましたが、誰か一人の思いで嵐の将来を決めるのは難しいと思うし、他の何人かの思いで誰か一人の人生を縛ることもできない」
「中学の頃に出会って、3、4年一緒にいる大切な仲間です。どれだけ時間をかけても全員が納得する形の着地点を探していかなきゃならない」
ひき止めたか? との問いに、櫻井さんは「引き止めたという立場ではないです。大野の思いを理解したということで、大野の思いと他の4人の思いをきちんと着地させなければと思っていました」と答えました。
松本さん「グループ活動を続けることは、メンバーの強い意思があって初めて続けられることだと思っていた」
「いろんなことを経験させていただく中で、大変だと思うことも正直ありました。そんな中で自分たちがいい形でグループを閉める、ということを考えたこともあったし、その話をメンバーにしたこともありました」
「なので、最初にリーダーの話を聞いたとき、僕は驚きませんでした。その後みんなで色んな話をする中で、それぞれの思いもありますし、これからのことを考えたときに2020年で区切りをつけるのがベストなんじゃないかと、僕は判断しました」
松本潤さん
相葉さん「初めてリーダーから聞いたときは、ひっくり返りましたね。こういう生活が当たり前だと一回も思ったことはないですけど、現実で突きつけられたとき、最初は準備がいりました」
相葉雅紀さん
松本さん「(活動休止について)こんなに話す日もなかったな、というくらい個々でも全員でも集まって話しましたね」
二宮さんは、「リーダーとご飯食べに行ったときに、なにか出来る方法はないのか、ということは言いましたし、リーダーもギリギリまで考えてくれた印象でした」と、当時の様子を話しました。
相葉さん「リーダーと二人で話す中でどうにか嵐を続ける方法はないかと話をしました」
「ただ、何回も話し合いを続ける中でちょっとでも同じ方向を向いていないリーダーをずっと付き合わせるのは違うと思ったし、1人2人と欠けてしまったら嵐ではないと思った。リーダーの意見を納得して、そっちの方向で進めていこうとなりました」
相葉さん「僕はデビューのときに『世界中に嵐を巻き起こしたい』と言って20年、まだ巻き起こせていないので、リーダーが同じ方向を向いたときには、」
大野さん「巻き起こします」
――この活動休止は嵐の前の静けさということで?
二宮さん「一生懸命考えたんでしょうね、サンジャポさん。その通りです」
――大野さんは4人にとってはどういう存在ですか。
松本さん「これ、リーダーだけじゃなくて、「嵐」「メンバー」としか形容のしようがない。家族でも友達でもないし、それ以上です」
相葉さん「このメンバーじゃなかったら20年できなかったね」
大野智(リーダー)、相葉雅紀、松本潤、二宮和也、櫻井翔の5人組で、1999年9月15日結成
同11月3日に「A・RA・SHI」でデビュー
2001年に初の単独レギュラーとなる日本テレビ系「真夜中の嵐」がスタート
2004年に日本テレビ系「24時間テレビ」で初のメインパーソナリティーを担当
2007年には初の東京ドーム単独公演を開催
2009年、NHK紅白歌合戦に初出場
2010年の紅白で初めて白組司会に挑戦
2016年から2018年まで相葉、二宮、櫻井と3年連続で、メンバーが単独で白組司会を務めている
嵐のデビューシングル「A.RA.SHI」(アラシ)は、1999年11月3日に、ポニーキャニオンから発売された。
嵐の曲の中で、アップテンポでいちばん好きですね。
この曲は、1999年のフジテレビ系『バレーボールワールドカップ』イメージソングであり、大野智さんと櫻井翔さん(ラップ)がソロで歌う。
ジャケットの嵐の文字は、社長のジャニー喜多川氏が書いたものです。
オリコン週間シングルチャートにおいては、1999年11月第3週のチャートで1位を獲得した。
初動売上(最初の1週間の売上)は55万7千枚。2010年発売の「果てない空」が約57万2千枚を記録するまでは嵐のシングルで最高の初動売上を記録していた。
デビュー当時の5人、当然ながら若いなぁ~!!
※ (1)下の画面をタップして、画面が変わったらもう一度タップすると、動画が再生されます。
(2)全画面表示にするには、画面をタップして右下のスピーカーマークの右の四角マークをタップして、スマホを横向きにします。
全画面表示を終了するには、画面をタップして、やはり右下のスピーカーマークの右のマークをタップします。
(3)動画が終わった後に出る画面の、一番下の回転矢印をタップすれば、もう一度見れます。
(4)その画面の一番上のタイトル「嵐、A・RA・SHI」をタップすると、youtubeに飛びます。スマホの戻るボタンを何回かタップすると、ここに戻ります。
「嵐で唯一、ミリオンに手が届くところまでいったのはデビュー曲のA.RA.SHIだけなんですが、
あれは握手券をつけていたからとの見方が強い。
でも、嵐にとってそれが、最初で最後の握手会でした。
その後は一切そういったセコい売り方はしなかった。
その結果、遠回りながらも地道に売り上げを伸ばす道を選ぶことになったわけです。」
ー 2013.3.23 ヤフー知恵袋からー
「A.RA.SHI」の最初のラップの部分は、なんと言ってるのでしょう? 「じきそうそう」としか聞こえないんですが。
ヤフー知恵袋に答えがありました。 正しくは、「take it so so」ですが、
櫻井くんは「ちきそーそー」と言っていました。
レコーディングの際に、言われたのをそのまま意味もわからず言っていたそうです。歌番組に出た時、ディレクターになんて言ってるか聞かれ、「ちきそーそーです」と答えたら、「take it so soじゃないの?」と言われ、やっと間違いに気付いたそうです。