翻訳translation
2019.1.13(日)21:06投稿
北方領土問題について日本はこれまでずっと、北方四島の帰属の問題を解決して,平和条約を締結する、との立場をとって来ました。
その立場を変えたのではないか、と思える出来事がありました。
※ 目次の項目をクリック(タップ)すると、その項目に飛びます。
(1) 2018年11月14日(水) 北方領土問題に大きな進展(後退かも?)がありました。
安部首相は外遊先のシンガポールでロシアのプーチン大統領と会談しました。
そこで、「平和条約を締結して、歯舞諸島と色丹島の二島を日本に引き渡す」とした、
1956年(いっちゃんの生まれた年です)の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させる様提案して、プーチン大統領も同意したという事です。
※ 日ソ共同宣言についてはこちら。
※ (1) 上の青いリンク文字をタップすると、記事タイトルが出て、少し経ってからリンク先の項目に飛びます。
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政府はこれまで一貫して「四島一括返還」を主張して来たので、大きな政策転換です。
四島返還を主張しても、全然進展しないのだからしかたないですね。
安部首相は「戦後70年以上残されてきた課題を、私とプーチン大統領の手で、必ずや終止符を打つ」と、強い意思を示しました。
安部首相の任期は最長で、あと3年弱(自民党総裁の任期が切れる2021年9月まで)。
それまでに、平和条約締結→歯舞諸島と色丹島の2島返還→残り2島は継続協議、となるかどうか(継続協議とするのは、難しいでしょうが)?
2019年の年明けには安倍首相のロシア訪問、6月にはプーチン大統領の訪日が予定されているので、それまでにどこまで進展するのか、注目されます。
(2) プーチン大統領は会談の翌日(11月15日)記者会見して、
「日ソ共同宣言には2島を引き渡すとだけ書かれていて、どのような根拠で、どの国が主権を持つのか書かれていない」と発言しました。
引き渡しても、ロシアが主権を有する余地があると言っています。こんな無茶な論理が通用するんですかね?
強く出てその後譲歩すれば、少しでも自分の方に有利に持って行けると思っているのでしょうか? ロシア国内の世論に、配慮したのかも知れません。
※ この発言は、ロシア国内向けの発言だったようです。
プーチン大統領は、また「日ソ共同宣言を履行しなかったのは日本だ」と日本を批判しました。
平和条約には、国境の確定が不可欠です。四島の主権がどちらにあるか、確定しなければなりません。
残りの2島の主権を、棚上げにするのは無理でしょう(平和条約を結ばないなら、別ですが)?
またプーチン大統領の言う、歯舞・色丹を事実上引き渡すが主権はロシアに、というのも日本は、到底飲めないでしょう!
四島の南に国境線を引く事になり、成果が0に近くなりますから。
ロシアも日本と経済協力はしたいですから、0解答して交渉をぶち壊す事はしないでしょう?
歯舞・色丹の主権は日本に、国後島・択捉島の主権はロシアに帰属する、という結果になる可能性が高いと思います。
※ (1) 北方領土問題については、以前にも少し書いています。下の青いリンク文字をタップしてください。
(2) 北方領土問題の最新情報については、下の青いリンク文字をタップしてください。
1 歯舞諸島 2 色丹島 3 国後島 4 択捉島
(1) 面積 四島全体で、5,003k㎡(千葉県や福岡県と同じくらい) その内、歯舞、色丹が合わせて346k㎡(全体の7%)
※ 2島合わせて7%しかないから、四島一括返還論が根強いのも分かる気がします。二島先行返還だと、(一旦二島で決着するため)、93%ある残り二島が、返って来る可能性が低くなりますから。
(2) ロシア人の人口(2016年1月) 四島全体で1万7千人弱、その内、歯舞、色丹で3千人弱(歯舞のデータがないので、色丹島だけの人数です)
(3) 主要産業
北方領土周辺の水域は親潮(千島海流)と黒潮(日本海流)が交錯しているため,水産物が極めて豊富です。
古くから世界三大漁場の一つに数えられています。
そのため,戦前は,この水域では日本の水産業が盛んでした。
また,林業,魚類の孵化事業,鉱業,畜産業なども行われていました。
現在は,漁業,水産加工・缶詰製造業等が行われている模様です。
(4)北方領土におけるロシア軍
旧ソ連時代の1978(昭和53)年以来,ロシアは,北方領土のうち国後島,択捉島と色丹島に地上軍部隊を再配備してきました。
その規模は,ピーク時に比べ大幅に縮小していると見られますが,
現在も防御的な任務を主体とする1個師団が国後島と択捉島に駐留しており,
戦車,装甲車,各種火砲,対空ミサイルなどが配備されています。(平成29年版「防衛白書」より)
ジャーナリストの須田慎一郎さんは、ラジオの生放送でロシアとの北方領土返還の交渉について解説しました。(2018年11月19日放送の、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」)
左から、飯田アナ、新行アナ、須田さん(2018.11.5の写真)
以下、須田さんの解説を紹介します。
2018年11月14日(水)、安倍総理とロシアのプーチン大統領の首脳会談で、北方領土問題について、1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉を進めることで合意しました。
合意したのは今後3年以内に日露両国が平和条約を締結すること。そして、2019年1月にも総理はロシアを訪問して、詰めの協議を行うことです。
須田)北方領土問題は、表面的な協議と実質的な協議が大きく分かれていると思います。
日本の大手メディアの報道は、表面的な動きばかり報道していて、裏の実質的な報道が全然できていないと思います。
「いま日露交渉がどんな状況になっているのか」を結論から言うと、「返って来る北方領土についてどのような扱いをするか」が1つ大きな焦点です。
これは日本からの主張でもあり、それにロシアが乗るかどうかというポイントがありますが。
須田)(日本の主張は)いわゆる「沖縄方式」とも呼ばれています。
飯田)1972年に沖縄は返還されましたが、それより前に近い状態に位置づけるかどうか、ということですか?
須田) 戦後の一定期間、主権は日本にありましたが、施政権はアメリカにありました。だから、米軍の駐留が認められました。
(それに習って)「主権は日本に戻ってくるが、一定期間のロシア軍駐留を認める。」ということです。これがいちばんの肝の主張です。
飯田)それは橋本総理が当時、ロシアのエリツィン大統領に対して静岡県伊東市川奈で行った、政府は認めていない非公式なものですが、川奈提案の話と似ていますね。
「国境線を北方四島の先に引いて、施政権に関してはロシアが一定程度保持する」ということです。
須田)もちろん、主権があるから日本との自由な往来は認める。そういう状況でどうだろうかと日本は安倍政権になってから改めて提案していると思っていいですね。
「沖縄方式」は、何年か前から日本が主張していたようです。その時は、四島一括返還が前提でした。「四島返還+沖縄方式」ですね。
それでも交渉が進展しなかったという事は、四島返還前提では、施政権をロシアに認めるといっても、交渉は成立しませんね。
「二島返還+沖縄方式」(二島の主権は日本、施政権はロシア)なら、プーチン大統領の言う「二島は返還するが、主権などは交渉次第」(二島は返還、主権は?)に近くなるので、交渉が成立する可能性は高いと思います。
しかし、プーチン大統領の発言をそのまま取ると、「二島返還-α」で、一方的なロシアの勝利という感じが否めません(二島返還+沖縄方式でも、-αですが)。
日本国内の世論を納得させるのは、難しいでしょう。
日本としては、施政権は別として、歯舞、色丹の主権は譲れないですね(色丹島の北に国境線を引くという事です)
ー私見ー
(1) この「沖縄方式(限定主権)」とは、実際は「日本方式」の事。日本は米軍に対し「国土の自由使用」と「国外への自由出撃」を認めており、軍事主権はまだ返還されていない。
ー 矢部宏治さん(作家) ー
※ 矢部さんは、北方領土問題については、悲観的な見方をしています(下は、2018年12月9日の記事です)。
(2) 2018年11月の報道ステーションで、ロシアの学者が「限定主権という考えもある。沖縄方式だ」と述べていた。
つまり、日本は沖縄に米軍基地を置いた状態で「返還」としてしているんだから(アメリカが沖縄の軍事主権を持っているんだから)、ロシアも2島に基地を置いたまま引き渡せばいいと。
ー 盛田隆二さん(小説家) ー
※ 国後、択捉と違って色丹島にはロシア軍は駐留しないが、国境警備隊の大型基地がある。
須田) 実は日露交渉は、実質的には半分くらい、日米交渉だと思います。
だから、当然主権と施政権が返って来れば、日米安保条約に基づいて、(北方領土への)米軍駐留がある(アメリカが実際に行くかどうかは別として)。これは、ロシアにとっては困ります。
その着地としてのウルトラCが、先ほど申し上げている沖縄方式と考えていいと思います。
須田)お互いの信頼関係がなければ、(ロシアに)「アメリカとは、ちゃんと話をしています」と言っても、いざ蓋を開けたら「何も話せていなかった」では困りますからね。
だから、プーチン大統領とトランプ大統領の両方と相性がいいと言われている安倍さんだからこそ、成り立つ交渉だと思います。
飯田)昨日のテレビの討論番組で、総理の任期があるから向こう3年という話に対して、「3年で終わらせるなんて、妥協があるかもしれない。
もっと長期スパンで考えるべきだ!」と野党が批判していたのですが、逆にケミストリー(化学、相性)で考えると、3年で終わらせなければ終わらない?
須田)というか、もうリーチの状況です。牌があと1つでアガリの、ギリギリな状態です。野党の言うような、いま配牌されている状況ではないですからね。
飯田)なるほど。これから始まるのではなく、もう詰まって来ている。
飯田浩司のOK! Cozy up!
FM93AM1242ニッポン放送 月-金 6:00-8:00
外務省出身の作家である佐藤優さんは、次のように述べています。
佐藤優さん 「東洋経済オンライン」から
日ソ共同宣言は、平和条約ではなく、領土問題を先送りする形で、日ソ国交回復を先行させるものでした。
その後も、日ロ平和条約を巡っては、日本国内で、歯舞群島と色丹島の引き渡しを基本にするか、四島返還に固執するかで、北方領土戦略について対立が続いていた。
この問題に安倍晋三首相は終止符を打とうとしている。
日本政府が2島先行返還に転換したという見方があるが、それは間違いだ。
2島先行返還とは、歯舞群島と色丹島をまず日本に返還し、中間条約(例えば日ロ友好・協力条約)を締結し、
その後、国後島と択捉島の帰属について協議し、これら二島の日本への帰属が確認されたところで、平和条約を締結するという考え方だ。
2001年3月のイルクーツク日ロ首脳会談で日本が考えていた案である。
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イリクーツク首脳会談についてはこちら。
しかし、プーチン大統領は、日本が国後島と択捉島を領土交渉の対象に含めるなら、(北方領土問題の)交渉に応じないという態度を貫いている。
従って、この案にプーチン大統領が乗る可能性はない。
外交交渉は国力と国力の均衡点で決まる。
2001年当時と現在の日本とロシアの力関係を比較すると、相対的に日本が弱くロシアが強くなっている。
このような状況で二島先行返還を主張するのは非現実的だ。
北方四島が日本固有の領土であるという主張は、国際的には通用しない。
1951年のサンフランシスコ平和条約で日本は南樺太と千島列島を放棄したが、
当時の日本政府は、放棄した千島列島に南千島(国後島と択捉島)が含まれるという立場を取っていたからである。
(ソ連はサンフランシスコ平和条約に署名しなかったので、この条約に拘束されない。)
55~56年の日ソ国交回復交渉が始まってから、日本は放棄した千島列島に国後島と択捉島は含まれないという主張をし始めた。
1945年8月に、ソ連は当時有効だった日ソ中立条約を無視して、日本との戦争を始めた。国民感情に照らせば、国後島と択捉島を日本が要求するのは当然だ。
それに加え、日ソ国交回復交渉が行われた当時は東西冷戦下だった。
アメリカが沖縄と小笠原の施政権を日本に返していない中で、ソ連が歯舞群島と色丹島の二島返還に応じたら、日本国内で親ソ感情が高まり、共産主義の影響力が増すかもしれない。
だから、ソ連側が飲めない4島一括返還を主張したのだ。
既に東西冷戦が終結して四半世紀(25年)以上になる。そろそろ現実的な対応を取った方がいい。
※ 四島返還論には、そういう裏の事情があったんですね! だけど、わざと交渉が成立しない主張をするもんですかね?
ダレスの恫喝
(1) 日ソ国交回復交渉で、重光葵外相は交渉をまとめるため、国後・択捉をソ連領とすることを決意した(従来は四島返還論者)。
そして、それを米国のダレス国務長官に説明すると、ダレスより「それをすれば沖縄を返さない」と言われる。
これを「ダレスの恫喝」という。
それ以降、日本は四島一括返還を要求する立場をとる。(孫崎享「世界と日本の正体」/評論家、元外務省国際情報局長)
(2) 1955~1956年に日ソ国交回復交渉が行われました。
そして、1956年8月19日、重光葵外相はロンドンの米国大使館を訪れ、ダレス米国務長官に、日ソ交渉の経過を説明しました。
その際、歯舞群島、色丹島を日本に引き渡し、国後島、択捉島をソ連に帰属させるというソ連案を示しました。
それに対し、ダレスは激しく反発しました。ダレス長官は、「千島列島(国後、択捉)をソ連に帰属させるということは、サンフランシスコ条約でも決っていない。
したがって日本がこの案を受け入れるのは、ソ連に対しサンフランシスコ条約以上のことを認めることになる。
このような場合、同条約第26条(※)により、アメリカも沖縄の併合を主張しうる地位にたつ。ソ連のいい分は全く理不尽である」と言ったのです。
これはダレス長官の個人的発言ではなく、アメリカの国家意思に基づくものです。
※ サンフランシスコ平和条約第26条には、次の記述があります。
「日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行つたときは、
これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼさなければならない。」
2島返還論のメリットについては、別記事にしました。下のリンク(薄い線で囲まれたところ)をタップしてください。
佐藤優さんは、また次のようにも言っています。
(1) 今回注目すべきは、秋葉剛男 事務次官が同席している事。今までになかった事。外務省もこの二島返還+αで全力を挙げてやろうとしている。
その意味では、杉山さん時代にはなかった事が起きている訳だから、今度の事務次官は本気だわ、これは。
外務省は命懸けでやってる。国策も変更になる訳で、安部政権も、もし国民が反発するんだったらこれで政権が終わるかもしれないけど、それと引き換えでもいいからと考えている。
というのは、今、中国、韓国、北朝鮮が、これだけ力を付けて来て、連携している。アメリカもアジアから引いて来ている。
この状況で、ロシアと連携してカウンターバランス取らないと、日本の国益にならない。
そこの処を、安部さん解ってるんですよ。これは、やっぱり5年やってるって事で、日本が今、追い込まれている事を解ってる。
(ジリジリ後退してるんだけど、)どこで防衛線を強化するかって事を考えている。そこで、態勢固めをするって事を一所懸命にやってる。
安部政権は、今、非常に現実主義的になってますね。
(2) 今年(2019年)の1月に、安部さんがロシアに行って基本的な方向が決まり、6月の終わりにG20で、プーチンさんが来日する。
その時に、もしかして平和条約が調印されるかもしれない。
そして解散総選挙で、民意を問う(二島返還は国策変更だから、民意を問わなければならない)。そして、国会批准。
それくらいのペースでいくから、もう今年の終わりか来年には、北方四島に簡単に行けるようになっている、かも知れない。
安倍首相は今年(2019年)1月4日の年頭会見で
「北方領土には多数のロシア人が住んでいる。住民の方々に、日本に帰属が変わるということについて納得、理解をしていただくことも必要です」と語っていた。
この発言がプーチン政権の逆鱗に触れたようです。
モルグロフ外務次官は、9日に上月豊久・駐ロ大使をロシア外務省に呼び出し、北方領土交渉についての安倍首相の発言について、
「1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約を加速するとの日ロ首脳の合意の本質を歪め、両国の世論をミスリードするものだ」と抗議しました。
「ロシアにすれば、仮に北方領土の帰属が変わろうと、住民の『理解を得る』のは、自国の役目ということ。
日本政府が言うべき問題ではなく、安倍首相の発言は『内政干渉にあたる暴走だ』とプーチン政権は受け止めたのです」
(筑波大教授・中村逸郎氏=ロシア政治)
※ まだ、二島の返還が決まってないのに、安部首相の発言は、もう返還が決まったような言い方と捉えられたのかも知れませんね。
ここに来て、日本への牽制が相次いでいる。この事につき、ジャーナリストの須田慎一郎さんは、2019年1月14日のラジオ生放送「OKコージーアップ」の中で、
「牽制が相次いでいるという事は、むしろ交渉が具体的になって来ていると思います。
入り口の所で全く交渉に応じないとか、決裂していると言うのでなく、交渉が進みつつあって、最終的な結論、北方領土問題と平和条約締結という点では、前進しているのではないか。」
と言っています。
北方四島は我が国固有の領土で、一度も外国の領土になった事がない、というのが外務省の見解です。
以下、現在までの歴史的経緯を、外務省のホームページの内容を中心に、述べます。
・日本はロシアより先に北方領土を発見して、19世紀初めには四島を実効支配しました。
・1855年2月7日(安政元年12月21日)日魯通好条約(下田条約)に於いて、日露両国は自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境を、そのまま確認しました。
北方四島が日本の領土である事を、ロシアも認めた訳です。
・1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾しましたが、
ソ連はその直前の8月9日、当時有効であった日ソ中立条約を無視して対日参戦して、北方四島を不法占拠しました。
ソ連は日本がポツダム宣言(※)を受諾した後の1945年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。
当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1848年までにすべての日本人を強制退去させました。
それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。
※ ポツダム宣言(英: Potsdam Declaration)は、1945年(昭和20年)7月26日にアメリカ、イギリス、中華民国から日本に対して発せられた、全13か条から成る宣言です。
正式には日本への降伏要求の最終宣言(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)です。
ポツダム宣言は、日本の主権が本州、北海道、九州、四国と、連合国の決定する諸島に限定される旨規定しています。
他の国が降伏した後も交戦を続けていた日本は、1945年8月14日にこの宣言を受諾し、
このことは翌8月15日(終戦記念日)に国民に発表されました(玉音放送)。
9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で、日本代表と連合各国代表が、宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印しました。
これにより、第二次世界大戦(太平洋戦争)は終結しました。
ソビエト連邦は後から加わり追認しました。
ーウィキペディアよりー
・1951年9月サンフランシスコ平和条約に於いて、日本は樺太の一部と千島列島に対する権利を放棄しました。
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サンフランシスコ平和条約については、こちらも
1955年から1956年にかけて、日ソ国交回復交渉が行われました。
日ソ国交回復交渉(ダレスの恫喝)については、こちら
・1956年10月、日ソ両国は、歯舞群島と色丹島を除いては、領土問題につき意見が一致しなかったが、平和条約に代えて、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた日ソ共同宣言に署名しました。
1956年10月にモスクワで、鳩山一郎首相と旧ソ連のブルガーニン首相が、日ソ共同宣言に署名。
第2次世界大戦で争った両国の戦争状態を終結し、国交を回復しました。
日ソ共同宣言は、日ロ両国の国会で批准された唯一の法的文書で、条約と同等の効力を持ちます。
国交回復後に
「(1) 平和条約締結交渉を継続し、
(2) 平和条約締結後に、歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことに同意した」
事が明記されていますが、国後、択捉両島の扱いについては触れられていません。
日ソ共同宣言は、プーチン氏も法的有効性を認めています。
ただ国後、択捉両島の扱いには触れておらず、ロシア側はこれを根拠に「領土交渉の対象外」との立場を崩していません。
日ソ共同宣言を領土交渉の基礎とした場合、事実上の国後、択捉両島の返還断念につながる懸念があります。
※ 安部首相が、昨年11月14日(水)の会談で、持ち出したのが、この「日ソ共同宣言」です。
・田中総理訪ソ(1973年)
1973年の田中角栄総理の訪ソの時、ブレジネフ書記長は、北方四島の問題が戦後未解決の諸問題の中に含まれることを口頭で確認。
それにもかかわらず、その後ソ連は長い間「領土問題は存在しない」との態度を取って来ました。
・ゴルバチョフ大統領の訪日(1991年4月)
1991年4月にゴルバチョフ大統領が訪日した際、
日ソ共同声明において、ソ連側は、四島の名前を具体的に書き、領土画定の問題を初めて文書で認めました。
・1991年8月、保守派によるクーデタ未遂事件が発生。12月ソ連邦は崩壊しました。
・1992年 (北方領土への)ビザなし交流開始、以降、毎夏、数往復ずつ実施
・1993年10月 東京宣言(細川護熙首相、エリツィン大統領署名)
四島名を列挙し、帰属問題を解決することにより「平和条約を早期に締結するよう交渉継続」。
(1)東京宣言(第2項)において、
(イ)領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、
(ロ)四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化する
との手順が、明確化されました。
(2)また、東京宣言は、日本とソ連との間のすべての条約その他の国際約束がロシアとの間で引き続き適用されることを確認。
(エリツィン大統領は記者会見で、日露間で有効な国際約束に1956年の日ソ共同宣言も含まれると発言しました。)
・クラスノヤルスク首脳会談(1997年11月)
クラスノヤルスク合意(橋本龍太郎首相、エリツィン大統領)
「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす。」
・1998年4月、川奈首脳会談において、日本側が、四島の北に境界線を引くが、当面はロシアの施政を認めることを提案。
合意内容
「平和条約が、東京宣言第2項に基づき四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けての日露の友好協力に関する原則等を盛り込むものとなるべきこと。」
川奈首脳会談では、日本側は「択捉島とウルップ島の間に、国境線を引くことを平和条約で合意し、政府間合意までの間はロシアの四島施政権を合法と認める案」を非公式に提案(川奈提案)。
※ 川奈提案は、沖縄方式に似ています。
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沖縄方式についてはこちら。
・小渕総理の訪露(1998年11月)
モスクワ宣言において、
-東京宣言、クラスノヤルスク合意及び川奈合意を再確認。
-国境画定委員会及び共同経済活動委員会の設置を指示。
この日露首脳会談で、ロシア側は「国境線確定を先送りして平和友好協力条約を先に結び、別途条約で国境線に関する条約を結ぶ案」が非公式に提案された(モスクワ提案)。
・プーチン大統領の訪日(2000年9月)
(1)「平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明」において、
-これまでのすべての諸合意に立脚して、四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を策定するため交渉を継続することー
を確認。
(2)プーチン大統領が「56年宣言は有効であると考える」と発言。
また、プーチン大統領は、「川奈提案はロシア側の考えとは完全に一致しない」とも発言している。
・イルクーツク首脳会談(2001年3月)
イルクーツク声明(森喜朗首相、プーチン大統領)
(1)56年日ソ共同宣言を交渉プロセスの出発点と位置づけ、その法的有効性を文書で確認。
(2)その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの日露共通の認識を再確認。
※ この時、日本が考えていたのは、2島先行返還論です。
・小泉総理の訪露(2003年1月)
日ロ行動計画(小泉純一郎首相、プーチン大統領)
経済協力を確認。
(1)共同声明において、両首脳の間で、四島の帰属の問題を解決し、平和条約を可能な限り早期に締結し、
もって両国関係を完全に正常化すべきとの「決意」を確認した。
(2)「日露行動計画」において、56年日ソ共同宣言、93年東京宣言、2001年イルクーツク声明の3文書が具体的に列挙され、
その他の諸合意と併せ、今後の平和条約交渉の基礎とされた。
・安倍総理の訪露(2013年4月)
(1)戦後67年を経て日露間で平和条約が存在しないことはおかしいとの認識を共有し,双方の立場の隔たりを克服して,
2003年の共同声明及び行動計画において確認された、四島の帰属の問題を最終的に解決することにより、平和条約を締結するとの決意を表明した。
(2)平和条約問題の双方に受入れ可能な解決策を作成する交渉を加速化させるとの指示を両国外務省に与えることで一致した。
・安倍総理のソチ非公式訪問(2016年5月)
これまでの交渉の停滞を打破し,突破口を開くため,
双方に受入れ可能な解決策の作成に向け,今までの発想にとらわれない「新しいアプローチ」で,交渉を精力的に進めていくとの認識を共有した。
・2016年12月 プーチン大統領来日
北方四島での共同経済活動の協議入りで合意。
・2018年9月12日「東方経済フォーラム」
2018年9月12日、ロシアのプーチン大統領は、安倍晋三首相も参加してウラジオストクで開かれた「東方経済フォーラム」に出席しました。
その全体会合で司会者の質問に応じる形で、日本とロシアの平和条約について「年末までにいかなる前提条件もなしで締結しよう」と提案しました。
北方領土問題を事実上棚上げして、平和条約締結を先行させようとの提案です(「いつやるの? 今でしょ!」の中で、触れています)。